死んだら人はどこへ行くのか?

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photo credit: blmiers2 via photo pin cc

「ママ~死んだら人はどこへ行くの?」
と我が家の子どもは、4歳くらいになると順番に訊ねる。
私は、
「ママは、たぶん死んだことがないか、死んだことを忘れちゃったか、わからないから、わからない。
どこに行くんだろうね?でも、何かいいところらしいよ。知らないけど…。」
といつも生返事。
子ども達は、小さな頭をフル稼働させて
「天国は、雲なんじゃない?」
「生まれる前にいたところと同じなんじゃない?」
と懸命に答えを出そうとする。
こうして…
「わからないこと」を日常生活の慌ただしさの中に埋もれさせる技を習得した私と、
「わからないこと」を抱え続ける子ども達の
対話はかみあわないままに、続く。
〈死の後〉
でも最近、
子どもが身近な人の死を、
人生の糧となるような形で受け止める準備をするには
何ができるだろう、と知人と考える機会があった。
その時は、植物や動物とのふれあいの中で命を感じることが、
準備の一つになるのではないか、という話で終わったのだが、
そのあとも、一人で考えていた。
〈残したもの〉
ありきたりだけれど、
亡くなった人がいる場所は
その人を想う人の中なんだ、ということに気付けたらいいのかも、と思った。
私が、大切な人を亡くした大切な友人に贈る
「わすれられないおくりもの」 という本がある。
賢くて皆に頼りにされているアナグマが死んでしまう。
悲しみにくれる動物たちは、アナグマの思い出を語り合っているうちに
アナグマが、自分たちの中に沢山の知恵や愛情のプレゼントを残していってくれたことに気付く。
読み終わった後に、
亡くなった人は、自分たちの前から姿を消したのではなく、自分たちの中にいるんだ
と素直に思える。
子ども達の感想は、いつも「ちょっと面白いけど、やっぱり悲しいおはなし・・・よくわかんない。」
けれど、いつか何かが芽吹くことを想って、子どもの心に種をまくように読み聞かせる。
そして私は、生きている人の本当に居る場所も、
誰かの中なのかもしれないな…などと考える。
「天国の雲が、綿あめだったらいいのにね」と
想像し続ける子ども達に馬乗りされながら。