役にたたぬ、よろし。

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photo credit: Ana_Fuji via photopin cc

「ピカチュー 、カイリュー 、レシラム 、ゼクロム、 ジャローダ・・・・・・・・・」
息子(7)の脳みそは、5%が「肉」25%「恐竜」残り70%が「ポケモン」によって占められている。
ポケモンの登場キャラの、特性も身長もみんな覚えているけど・・・。
毎日、ポケモン人形片手にブツブツ楽しそうだけど・・・。
学校の教科書を隅に寄せ、毎日ポケモンに埋もれている様子をみるにつけ、母の口からはついつい、
「あぁ~ポケモンの名前が、実は元素記号だったり、実はあとで使う公式だったりしたらいいのにねぇ・・・」
「あんなに柔らかい頭で何でも覚えられちゃうのに、ポケモンの体長、覚えて…無駄だよね、もっと役に立つこと覚えてくれりゃぁいいのにさ!」
などど、いう言葉もでちゃうわけです。

〈やくにたたぬから〉
しかしすると、そこで
夫が
「役に立たないから、いいんじゃないか」
というではあーりませんか。
実学を学び、実業の世界に生きる夫の口からそげな言葉が・・・!
ほー、意外ですな…。
でも、まぁそう言われて、思ったんだけど
子どもの成長って、自分が役に立つものでありたい、でも役に立たない、しょぼーんの葛藤の中にあるんだよね。
『機関車トーマス』シリーズに
「やくにたつ」機関車エドワード、とかトーマスが「やくにたちたいんだ!」と頑張る描写があるんだけど。
そこで、トーマスたちが、やたら役に立つ機関車になりたがるけど、優しい機関車じゃだめなのか?というお母さんがよくいる。
でも多分、何かの「役に立ちたい」というのは、子どもが自然に持つ気持ちなんだよね。
子どもらって、何か出来るようになった力を使って、誰かの「役に立ちたい!」っていう気持ちにあふれているもんね。邪魔なのにお手伝いしてくれようとしたり(笑)。
そういう「役に立ちたい」想いのあふれている時期、でもそれも満たせない時期にこそ、一見「役にたたぬもの」に注ぐ情熱や時間が大切なのかもしれない。
「役に立つ」面白さや大切さと、ともに、役に立たなくってもそれでも、それがいいのだ~という肯定感が、彼らのこころを育む、すごく「役にたつもの」になるんだろうね。
もっとも、渦中にある子どもらには「役に立つ」「立たない」という概念すら、形にはなっていないのだろうけど。

〈こうしんだ)
しかしまぁ、夫も、役立たぬもの、お好きとはね…。
まぁ、車のハンドルにも大人にも「遊び」は必要だもんね。
…そうか、其れがワシを娶りし理由ぞな!
そうと知ったら、大手を振って大きな顔できるなっ。
ははははは、役に立たぬものたちよ、出でよ~
共に行進しようではないか~。
…と思ったら、
あ、
夫から仕事の催促メール・・・・。
じゃ、仕事いって役立ってきます・・・。