もとの形は何だろう?を知るところから始めよう

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photo credit: Matthew Stewart | Photographer via photo pin cc

お好み焼きに、かつお節をかけたら、湯気でふわふわ。
子らは嬉しそうに「あ~、生きてるぅ」
それは、それで微笑ましい、楽しい食卓。
でも、削られる前のかつお節も、丸ごとの鰹も目の前のかつお節と、全く結びついていない。
「かつお、っていう魚だよ!」と教えてみたけど、「知ってるよ!」って本当に?!

<泳ぐ切り身>
鮭が切り身で泳いでいると思っていたのが中学で発覚し、
「シャケ」という仇名のついた知人がいる。
笑えないほど、自分たちは、既にそういう世代。
魚をさばき、獣を屠る生活などしていない。
でも、知らずにいてはいけない。
忘れてはいけない、と誰に言われるでもなく感じる。

<命を食べる>
学生の時、自分達で生捕りにした大きなタコを茹でたことがある。
鍋から這い出るタコと格闘して、やっとのことで茹でたのに、一口しか食べられなかった。
だから、情けないことに、命を頂くこと、について語れない。
けれど、命を頂くこと、について語る必要をとても感じる。
息子(6)が、牧場の様子を描いた『ぼくじょうにきてね』を読み、
乳牛から生まれたオスの牛が売られていく場面で、盛んに悲しがっていた。
そして、しばらくじっと考えていた。
彼は、相変わらず
焼肉屋で、いつまでも肉をお代わりし続けるけれど
知れば悲しいし、
知れば考える。
子どもも大人もまず、知るところから。
もとの形は何だろう?