愛する心は受け止められるところから?

娘(中1)がまだ中学に入学して間もない頃

体育祭の実行委員になった。

体育祭が終わった後

中1から高3までの実行委員と

先生方で反省会が開かれたという。

その場で

改善すべき点を皆であげた時に

娘が話した内容を

先生方が皆でメモして

「早速、改善を検討しましょう」

と仰ったのだという。

入学したての中1の言葉を

熱心にメモして、きちんと扱ってくれたことに

娘は驚き、嬉しかったらしい。

学校を一気に好きになったようだった。

聴く

娘が興奮気味に、その様子を話しているのを聞きながら

自分の師匠のことを思い出していた。

何の面識もない

ドイツ文学専攻の学生だった恩師の話を

既に80を超え有名な民俗学者だった

柳田國男先生が

メモを取りながら熱心に聞き

「日本の伝承文学も研究してほしい」

と仰ったという

そのことが日本の伝承文学も研究対象にしたきっかけだというエピソードだ。

愛〜

愛校心とか愛社精神、とか

愛「研究対象」精神とか…。

愛する心を持つきっかけ、っていうのは

真剣に向き合って、受け止めてもらう体験

なのかもしれないな。

愛されたい人、とか

愛されたい組織、とか

愛されたいサービス、とか

愛されたいなにか、っていうのが

最初にやるべきことは

真剣に向き合って、受けとめることなのだ

ということでもあるね。

言葉にしたら当たり前のことだけど。