子どものいない先生のあなたへ

baby
「先生は、お子さんいないからねぇ・・・」

「先生も自分の子ども持ったらわかると思うわよ・・・」

子どものいない先生は
親に、特に母親にそう言われちゃうと、最終的には黙るしかない。

「そうだよね、
確かに、子どもを実際に産み、育てたら、
出産も育児も経験して無い人なんかより、
よっぽど子どもの事がわかるに違いないよね。」

あなたは、いつもそう思っているよね。

でも、
三人産んでみた十数年後の私から
教えてあげたい。

実際は
子どものない時に
見えたものが見えなくなった、
言えたことが言えなくなった、
と感じることも少なくない、ってことを。

〈見えないしるし〉
子どもを持った時点で多かれ少なかれ、
自分の中のものさしの
目盛りの一つに、色が付いているのだ。
それが無意識だとしても
もう今迄のように
どこにも濃い目盛りの無いものさしは、使えない。

出生体重は、他の数字と
生年月日は、他の日付と明らかに重さが違うものになってしまった。

勿論、それまでだって自分自身が付けた沢山の印があったけれど、それとはあきらかに異なる印。

盲目の愛、動物的な愛、
としか言いようのないものに支えられないと居られない時間が
出産や子育てには確かにある。

その時、そこには当然ながら大きな死角が生まれる。

子どものいないあなたは、
その死角を照らすことが出来る。
時に冷酷なまでの客観性は、
あなただけのもの。

〈死角を照らせ〉
思い通りになどいかぬ子育ての日々、
産んだという事実や
育てた時間を
支えにも、自信にもせざるを得ないのも、母親。

どうぞ温かく見守ってください。

「ちっ、自分の子どもの事が全ての子どもに当てはまると思うなよ〜。
子ども産んだら、そんなに偉いんか〜」などと毒づいていないで

その死角の先にある、
子どもたちの幸せのために
自分が見渡せる視界の違いを武器に親の死角を照らしてください。

子どもを持たないから、
見えてないことがあるかもしれない、というその心が、
子どもと真摯に向き合う原動力にもなっているのだから。

見えないところを補い合いながら、
一緒に行きましょう、
全部見えてる人なんかいないもの。

見えないことの強みと
見えることの強み、
どちらも子どもにはきっと必要だから。

最近、
立て続けに若い先生達と
出会い、その中に何人もの
あなたを見つけたから

久しぶりに一筆を…。

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