0歳から保育園に預けたら社会性がつかないか?

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先週、息子(6) の卒園式だった。
保育園なので「卒園おめでとう」「ありがとうございました。ウルウル(泣)」と言いつつ、
今週再び「おはようございます!元気です!遅番でお願いします!~」と
子を残しダッシュで去っているわけですが…。
本当のお別れは、三月末。

<0歳から預けたら社会性がつかないか?>
昔の手帳に
同僚から「0歳から預けるなんて可哀想だ。社会性をつけてから家の外に出さなくちゃ社会に迷惑だ。
オレのウチの子は幼稚園年中からだぞ」
と言われ、傷つき悩んだ自分がいるのを見て、
「保育園でたくさんの素敵な大人に愛されて、社会も大人も、どうやら面白そうだと思うようになるよ。そんな言葉気にすんな~ガハハ~」
と笑い飛ばしてあげたいなと思った。
我が家に限っていえば、夫の帰宅は遅いし、自分一人の頼りない価値観だけに触れて育つよりも、
多くの素晴らしい先生たちの多様な価値観に触れて育ったことで、
コミュニケーション能力は、ぐんと伸びたし、また様々な事象を見る複眼的な視点を持つことが出来た。
と思う。

<保育園児は可哀そうか?>
義父母にもよく「こんなに小さいのに保育園へ行くなんて可哀そうに」と言われた。
これもまた私に限って言えば、保育園に預けながら仕事をしていたから3人産めたんだと思う。
そして、色々ありつつ子ども達と何とか楽しくいられたんだと思う。
仕事が、家庭が大変だったとき、いつも保育園の先生たちが、伴走してくれたから、保育園生活を走り切れたんだと感謝してる。
私は、専業主婦の母に育てられ、楽しい幼稚園生活を送った。
だから、「保育園行かせて可哀そう」という言葉の呪縛には随分囚われていたけれど、
一人目を6か月で保育園に入れてから7年。
母は、母らしいスタイルで楽しんで自分を育ててくれた。
私は、私らしいスタイルで、楽しんで子どもを育てたらいいんだ。と思えるようになった。
今、子ども達の楽しそうな様子をみると「可哀そう」という言葉の入り込む余地などなさそうだ。
娘(7)は、小学校での悩みを相談に、誇らしい出来事を報告に、今でもせっせと保育園の先生のところへ通う。

<保育園児は可愛いよ>
もうすぐ4月。新入園児の季節は、新入園児の母の季節。
保育園に預け、泣き叫ぶ声に後ろ髪惹かれながら職場へ急ぐすべてのお母さんに、
昼寝せずに泣いているという娘の写真を見ながら、会社のベランダで泣いていた昔の自分に、
今の「可哀そう?」は、子どもと自分の向き合い方を考える素敵なきっかけ、になるよ。
と耳元でそっと伝えたい。
そして、
「保育園児は、可哀そうじゃないよ。」
「保育園児は、可愛いよ~」
そんな風に、数年後には笑っているよ…と。