不幸のそばでも、自分が幸せになって良いのだ

中学、高校、大学時代

仲良しの友人の親が

亡くなることが

4人も続いた。

今思えば

側にいて

励ます方法を

考えることの多い青春時代

だった。

事故や病気、原因は様々だったけれど

分かち合えない悲しみや苦しみを

側で見ている無力感が

10代から20代前半の自分を

うっすらおおっていた。

暗い家に帰るのが嫌だ、

という友達と別れて

帰宅すると

我が家は両親健在で

いつも明るかった。

自分だけ幸せで申し訳ない、

とか

悲しみに共感したつもりが

家では忘れて大笑いしている自分に

後ろめたかったりした。

灯り

それから月日が経ち

母になり

子供が学校で事件に巻き込まれ

心身共に疲弊した時

沢山の人に助けてもらった。

内外の

自分と同じ様に被害を受けた人達と

傷を労わりあい、励まし合い

支えてもらった。

しかし、それ以上に

大きな支えとなったのは

屈託無く明るい(その時)無傷で

エネルギッシュな人達だった。

幸せで平和な人は

本当にあたりを照らすんだなぁ

と暗闇に包まれて

よくわかった。

難病の兄弟を持つ人が

「自分だけ幸せになるのは悪くて」と

去り際につぶやいたのを聞いて

何も言えなかったのだけれど

次に会えたら

何か言えるだろうか。